パリパラリンピックの砲丸投げに出場する齋藤由希子選手。
世界記録も保持しており、メダル獲得の期待が高い選手です。
今回は齋藤由希子選手のwiki風プロフィールを経歴とともにまとめました。生い立ちが本当にすごい選手ですので、ぜひ齋藤由希子さんを知ってパリパラリンピックで応援していただければと思います!
※齋藤由希子さんは似たようなお名前で、斎藤由希子さんや斎藤由紀子さん、齋藤有希子さん、斎藤有希子さんと、間違えられがちですが、正しくは「齋藤由希子」さんです。
齋藤由希子(砲丸投げ)のwikiプロフィール・経歴
齋藤由希子のwikiプロフィール
引用元:斎藤由希子選手instagram
名前 | 齋藤由希子(さいとう ゆきこ) |
性別 | 女性 |
出身地 | 宮城県気仙沼市 |
誕生日 | 1993年8月2日 |
所属 | SMBC日興証券 |
齋藤由希子のwiki経歴(生い立ち)
出生~中学(砲丸投げとの出会い)
斎藤由希子選手は1993年8月2日に宮城県気仙沼市に生まれます。
生まれつき左腕の肘から先がなく、生後6か月から義手をつけていました。
小さい頃から運動は得意で、小学校の徒競走はいつも上位、中学生になった時も運動部に入ろうと思うものの、両手を使うスポーツが多く、何部に入部するかを悩んでいました。
クラスの担任(砲丸投げ経験者)が左腕の先がなくてもできるスポーツとして、砲丸投げをすることを勧められ、陸上部に入部したのが今につながっています。
高校(東日本大震災で被災)
高校は私立気仙沼女子高に進学、高校でも競技を続けており、健常者と同じ部員の中、女子キャプテンを務めていました。
大会についても健常者と同じ大会に出場しており、そこでも県内トップクラスの成績を収めました。
そんな中、高校2年生の時に東日本大震災で被災します。
自宅が気仙沼市だったため、地震による津波で自宅が流されてしまいます。
家族は全員無事でしたが、避難所生活で体重や筋力が落ち、高校生の最後に挑んだ全国高校総体も出場を逃しました。それを機に陸上競技を続けるため大学進学を目指します。
大学~パラ陸上との出会い
大学は陸上競技を続けるために仙台大へ進学しました。
大学1年生の時に、同じく障害を持つ友人から障害者の大会(ジャンパラ)に一緒に出ないかと誘われます。
これまで健常者と同じ土俵で戦えること、勝つことにやりがい感じていた斎藤由希子選手でしたが、障害者の大会であれば世界を目指せることを知り、障害者の大会に出場、世界を目指すことになります。
なお、ジャンパラでは斎藤由希子選手が取り組んでいた投てき3種目(砲丸投げ、円盤投げ、やり投げ)すべてで日本新記録を出すことができました。
この時からパラ陸上の世界一になることを目指します。
砲丸投げからの種目変更を余儀なくされる
●2016年リオデジャネイロパラリンピック
23歳の年に開催される2016年のリオデジャネイロパラリンピックへの出場を目指す中、斎藤由希子選手がエントリーする障害部門の競技人口減少により、斎藤選手の本命種目である砲丸投げが開催されないことが決まります。
斎藤選手は競技が実施されるやり投げに種目変更をしますが、気持ちが砲丸投げから切り替えることができず、代表入りを逃します。
●2020年東京パラリンピック
4年後の東京パラリンピックでも砲丸投げは開催されないことから、砲丸投げから本格的にやり投げに種目を転向します。
ですが動作が同じように見えても使う筋肉やトレーニング法が全く異なる競技。思うように記録が伸びないことに加えて、ひじの剥離骨折や足底筋膜炎といったケガも重なります。
斎藤選手にとって得意種目は砲丸投げと円盤投げで、やり投げは苦手意識がある種目。モチベーションも保つことができずに、東京パラリンピックの出場も逃してしまいます。
出産を経てパリパラリンピックに内定
東京パラリンピックの選考に落選したのち、兼ねてより望んでいた妊娠が発覚します。
2022年3月に長女を出産し、同年秋には競技を再開。この時、次のパリパラリンピックでは砲丸投げが再度競技種目に戻ることが分かり、やり投げから本命種目である砲丸投げに再転向します。
その後、2023年7月、産後競技に復帰して1年弱で、パリパラリンピックの代表内定がかかる重要な試合、パラ世界陸上に出場し、砲丸投げで銅メダルを獲得します。
この結果からパリパラリンピック砲丸投げの日本代表に選ばれることとなりました。
齋藤由希子の戦績
齋藤由希子選手の戦績を種目ごとにまとめました。
砲丸投げ
開催年 | 大会名・成績 |
---|---|
2014年 | 仁川2014アジアパラ競技大会 優勝 |
2016年 | IPCグランプリ・ドバイ 優勝 |
2017年 | IPCグランプリ・ドバイ 優勝 |
2018年 | WPA北京グランプリ 優勝 |
2020年 | 日本パラ陸上競技選手権大会 優勝 |
2023年 | パラ世界陸上 3位 |
やり投げ
開催年 | 大会名・成績 |
---|---|
2013年 | 陸上競技世界選手権大会(リヨン) 3位 |
2014年 | 仁川2014アジアパラ競技大会 3位 |
2015年 | 陸上競技世界選手権大会(ドーハ) 6位 |
2016年 | IPCグランプリ・ドバイ 3位 |
2017年 | IPCグランプリ・ドバイ 3位 |
2017年 | 陸上競技世界選手権大会(ロンドン) 5位 |
2018年 | WPA北京グランプリ 優勝 |
2018年 | インドネシア2018アジアパラ競技大会 5位 |
2019年 | 関東パラ陸上競技選手権大会 優勝 |
2019年 | ジャパンパラ陸上競技大会 優勝 |
2020年 | 日本パラ陸上競技選手権大会 優勝 |
2021年 | ジャパンパラ陸上競技大会 優勝 |
円盤投げ
開催年 | 大会名・成績 |
---|---|
2014年 | 仁川2014アジアパラ競技大会 優勝 |
2016年 | IPCグランプリ・ドバイ 優勝 |
2017年 | IPCグランプリ・ドバイ 優勝 |
2018年 | WPA北京グランプリ 優勝 |
まとめ
齋藤由希子選手のプロフィールや経歴をまとめたところ、以下のことが分かりました。
- 幼いころからスポーツが得意で、健常者と同じ土俵で試合をしていた
- 高校生の時東日本大震災で被災したことで総体の全国出場を逃し、競技を続けるために大学に進学した
- 大学1年生の時に障害者の大会なら世界一を目指せることを知り、パラリンピック出場を目指すようになる
- リオ大会、東京大会では本命種目の砲丸投げが行われないことが決まり、やり投げに転向するも、出場を逃す
- パリ大会で砲丸投げが復活、産後1年弱でパラ世界陸上に出場し銅メダルを獲得。パリ大会の代表枠を勝ち取る
最後までお読みいただきありがとうございました。
パリ大会で活躍が期待される齋藤由希子選手を応援していきましょう!